大判例

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東京地方裁判所 昭和40年(特わ)636号 判決 1967年3月23日

理由

一罪となるべき事実

被告人両名は、いずれも、昭和四〇年七月四日施行の参議院選挙に際し、東京地方区から立候補した野坂参三の選挙運動者であるが、同候補者に投票を得させる目的で、共謀のうえ、同年六月一七日頃から同月二〇日頃までの間、別紙一覧表記載のとおり、同選挙区の選挙人である東京都台東区浅草日本堤四丁目二四番地青柳ヤスヱ方ほか四戸を戸々に訪問し、同人らに対して右候補者に投票するよう依頼して戸別訪問をしたものである。<中略>

四弁護人らの主張に対する判断

(一)  公訴棄却の申立について。

(1)  弁護人らは、「通常少くとも十戸以上の戸別訪問でなければ起訴しないのに、共産党の野坂参三候補への投票依頼のための戸別訪問という事案であるがゆえに、本件を起訴したという点で、党派的な差別をしたもので、公訴権濫用である。」と主張する。

本件において、検察官が、所論の党派的差別を意図したり、あるいはこれに基いて、本件起訴をなしたものであると認めるに足りる証拠はない。

たまたま本件は、わずか五軒の戸別訪問という事案であるため、弁護人らの眼に、さては右の党派的差別に基く起訴ではないかと映つたのであろうけれども、それは思いすごしというべきものであろう。

(2)  弁護人らは、「官憲が被告人両名の動向を看視し、尾行を続けていた証拠は歴然としている。このような看視・尾行の行為は、被告人らを罪に落すことだけを目的とした官憲の不法行為であり、選挙干渉、選挙妨害である。被告人両名を罪におとす企図を具体化するため、戸別訪問を口実に本件起訴に及んだ点が不当であり、違法である。」という。

証人新条登志子は、「鈴木被告人が訪問したのをつけていて確実に見たのだから、本当のことをいつて下さい。四月頃からずつとつけていたのだ、と取調の警察官からいわれた。」と、

証人青柳ヤスヱは、「鈴木被告人が、どういう風に訪問して廻つているかは、つけていたから知つていると、取調の検察官からいわれた。」と

証言する。

これらの証言からするならば、本件犯行当時、警察官が被告人鈴木の動向を看視し尾行を続けていたのではないかとも受け取れる。

しかし一方、取調に当る警察官は、ほんとうのところを供述してもらいたい一念から、実際には尾行していたわけでも何でもないのに、「つけていたので分つつているんだから」という前置きをつけることも充分考えられるところである。仮りに、弁護人主張のように官憲の尾行が歴然として行なわれたものであるとするならば、「何月何日の何時何分から何時何分までは誰それの家を訪問している。そのとおり間違いないだろう。」という式の尋問になつてくるはずではないか。本件において、こうした尋問がなされたという証拠は全くない。逆に、訪問日時の確定に手間取つていることが証拠上明白である。

このことから考えてくると、尾行云々の言葉は、前記のような、供述を引き出すための方便であつたものと見た方が妥当であろう。

尾行を前提とする弁護人らの主張は失当というべきである。

(3)  弁護人らは、「本件起訴は、教育民主化に活動努力して来た被告人両名に対する弾圧のためなされたものである。」と主張する。

被告人鈴木は、当時台東区立田中小学校(山谷一帯を学区に含む。)の教師であり、東京都教職員組合台東支部執行委員の地位にあつたもの、

被告人加藤は、当時台東区立駒形中学校教師であり、都教組台東支部書記次長の地位にあつたものである。

検察当局が、被告人に対して政治的弾圧を企図して本件起訴を敢行したものであることを認めるに足りる証拠はない。

弁護人らは、本件選挙における保守派候補の選挙違反事件に対する警察検察の処置と革新派の選挙違反事件に対するそれとを対比することにより、本件起訴が政治的弾圧であることを立証しようとする。

なるほど、弁護人指摘の保守派候補の選挙違反事件に対する警察検察の処置だけを比較の対照に用いるならば、本件起訴との間に不公平があるという議論をする余地はあろう。さらにつき進んで、本件起訴が、政治的弾圧であるかどうかの判断を下すに足りるデーターは、本件の場合そろつてはいない。確証もないのに、早々に政治的弾圧であると結論することはできない。

弁護人らは、参考人に対する警察の取調ぶりを取り上げて、政治的弾圧の意図を立証しようとする。

本件事案の捜査に伴う参考人の取調について、不当な捜査の例として、本件証拠上の現われたところを拾つてみると、証人二村サトは、「学校で、選挙のことで先生が家庭を訪問しに来たことのある人は手を挙げなさいといつて、子供が手を挙げさせられたことがある。警察官から、子供の調書をとるといわれた。」と、

証人山中宇佐夫は、「小口テル子方では、警察官が予め調書を書いて来て、これに判を押せと、何回もくり返しいつたし、もし共産党の世の中になつたらどういうことになるか知つているかと警察官からいわれていた。」と

証言する。

右は、本件犯行がなされた後、これに対する捜査の過程で起つた警察官の参考人に対する発言であることが明らかである。こうした現象(取調のいきすぎ)をとらえて、政治的弾圧の表われときめつけることには賛成できない。

被告人らは、本件選挙犯罪を犯したため起訴され、その結果として苦痛を受けるとともに、教壇に立てなくなつたという結果が生じたに過ぎないというべきである。これを政治的弾圧という演題で構成することは失当である。「被告人両名を教壇から良い出そうという政治的意図で、裁判の名において、これを実現しようとしているものである。」という主張は採用できない。公訴権の濫用でも何でもない。

(4) 弁護人らは、「本件起訴は、不正な起訴、政治的意図の下になされた起訴である。この検察官の不正を排除できるのは、裁判所だけである。公訴手続は無効であるから、公訴を棄却すべきである。」と主張する。

被告人らが、判示戸別訪問罪を犯してもいないのに、その証拠もないのに、被告人らが犯したものとして起訴したという案件とは異なる。検察官の本件起訴が、公平に見て果して妥当であつたかどうかは、人さまざまの見方の違いはあろう。但し、政治的な意図の下になされた起訴であり無効であるというまでの確証はないし、そのように結論づけることも妥当ではない、本件起訴は、訴訟法的にみる限において、妥当であるといわざるを得ない。公訴を棄却すべき事由はないものと判断する。

(5)  また、「本件起訴は、教師の政治活動の自由を制限するものである。」とも主張する。

公選法一三八条は、犯罪主体に関する制限は規定していない。教師といえども、右法規に違反する限り処罰を免れることはできない。教師に政治的活動の自由が認められるといつてもそれは法にふれない限りにおいてであるというべきである。この点の主張も採用できない。

(二)  戸別訪問禁止規定は憲法違反であるという主張についての判断および無罪(犯罪構成要件に該当しない)の主張についての判断。

(1) 戸別訪問禁止規定の合理性について。

戸別訪問禁止規定は、わが国の現在の状勢の下において選挙の公正を保障する機能を有するものと判断する。過去幾多の選挙において、現実にもその機能をはたして来た実績をもつものである。

運用面の問題として、戸別訪問禁止規定が、警察による選挙干渉の口実とされ、はては治安対策の方便として用いられる危険性が考えられることは、所論指摘のとおりであろう。

したがつて、立法論上の問題として、現在すでにその廃止論がとなえられている位であることも、その指摘するとおりである。もとよりわが国においても、先進国と同様、こうした禁止規定を必要としないほどの選挙事情であることが望ましい。

こうした運用ないしは立法上の問題は別として、この規定に合理的な理由がないという議論には賛成できない。

(2)  憲法三一条に違反するという主張について。

公選法一三八条にいう戸別訪問の「戸別」とは、連続して戸々に選挙人を訪問するという意味である。戸別の意味が不明確であるという弁護人の主張には賛成できない。一体最低限何軒訪問すれば戸別訪問罪の客観的構成要件を充足することになるのかという問題については、明確ではない。これは、法の立法趣旨その他を参酌して解釈する外ない。この解釈を許す余地のあることをとらえて、戸別の意味が不明であると結論することは妥当でない。

一体、構成要件のきめ方が、ばく然としており、あるいはあまりにも広すぎたりして、通常の知識経験を有する者が犯罪になるのかならないのかわけがわからないというのであれば、罪刑法定主義に反するという問題にもなつて来ようが本規定は、そうではない。罪刑法定主義に反する点は全くない。弁護人の憲法三一条違反論は採用できない。

(3)  無罪(構成要件を充足しない)の主張について。

弁護人主張の、「選挙の結果に効果的な影響を与うべき程度の選挙人に対して時間的地域的に連続して訪問することをいう。」とする定義づけには賛成できない。当裁判所の前記定義に従う限り、本件五軒の戸別訪問は、公選法一三八条に立派に該当するものであると判断する。構成要件に該当しないから無罪であるとする弁護人の主張は失当である。

(4)  憲法二一条に違反するとの主張について。

憲法二一条の保障する表現の自由は、公共の福祉のために、どこまで制限されるのかの問題については、諸説があり、困難な問題であることは、弁護人指摘のとおりである。結論を示すならば、戸別訪問禁止法規定は憲法二一条に保障する表現の自由を侵害して憲法に違反するものということはできないものと判断する。その理由は、指摘の最高裁大法廷判決(昭二五・九・二七)の理由を援用する。

(三)  以上の理由により、弁護人らの公訴棄却を求める主張は採用できない。無罪の裁判を求める主張も認容できない。

戸別訪問禁止規定が、憲法の保障する国民の権利を侵害して憲法に違反するものと解釈することはできない。違憲論の主張はすべて採用できない。(横地正義)

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